第4回 四国旅行 2020年10月22日〜23日 (2020/10/24)


1.特急 サンライズ瀬戸
 新型コロナウィルスの感染がまだ収まらない中、政府がGoToキャンペーンを実施している。
 一人旅で会話もほとんどしないし、寝台特急は個室で密が保たれているので、用心しながら 旅行することにした。
 10月は体育の日が7月に移動したので休日がない。そこで休暇を取った。
 泊りがけの旅行は去年の7月の広島以来、四国は3年ぶりだった。
 夜から寝台特急に乗れるように仕事はテレワークで定時で上がれるように調整した。

 寝台特急がGoToトラベルの対象になってさえいればA寝台を取ったけれど、残念ながら対象外だったので B寝台の個室「サンライズシングル」の2階を予約した。
 このご時世なので、個室の寝台は密が回避されるので需要はあるように思われるが、 なぜかあまり寝台特急は広報されていないようだ。
 寝台車両285系も、新しく見えるが20年以上経っているので、寝台列車が存続することを願いたい。
 デビュー当時はなかったWiFi設備やICカードの自販機など、設備の更新も必要ではないか。

 
 東京を出るとすぐにミニラウンジで酒を飲んでいたが、反対側の窓際では大量の酒を並べて酒盛りしている 3人組がいて騒いでいたので、少し距離を取っていた。
 彼らも鉄道ファンらしく、熱海では元東急8000系の伊豆急の車両が停まっていたので見に行っていた。

 飲み終わった後は1時間ほど本を読んだ後、自室に戻ったが、眠れないので睡眠薬を飲んだが、 どの程度眠れたのかは分からない。
 気が付けば瀬戸大橋を渡って7時半頃には終点の高松に到着した。

 駅に到着すると、思ったよりは乗客が多かったのは、平日のため通勤客が多かったためだろう。
 駅の休憩所で駅弁を購入して朝食を取った。


2.高松城(玉藻公園)
  
  
 ここからは早速琴平電鉄に乗ろうと思ったが、思ったよりも通勤客が多い時間帯だったので、 どうしようか迷っていたところ、駅の近くである高松城跡の玉藻公園が朝早くから開いていたので、 電車が空いた時間まで行くことにした。

 高松城は、安土・桃山時代に生駒親正により開かれた城だが、後に江戸時代になってお家騒動(生駒騒動) により生駒氏が転封となった後、水戸光圀の兄である松平頼重が入った。

 堀の水は海水を引き入れたもので、すぐ先は海に面している。
 本丸や天守閣は現存せず、資料館以外は入れる建物は少なかったが、立派な石垣は残っており、 城のすぐ脇には琴平電鉄の高松築港駅がある。


3.琴平電鉄 長尾線
  
 高松琴平電気鉄道は、高松築港を起点とした琴平線、長尾線、瓦町を起点とした志度線の3つの路線がある。
 車両は名古屋市交通局や京王電鉄、そして京急の引退した車両が使用され、特に京急の車両は多く見受けられる。
 使用されている車両の通り、線路は全区間が標準軌となっている。
 カラーリングは独自のものだが、長尾線は車両下部が緑色で塗装されている。
 ちなみに琴平線は黄色、志度線は赤とラインカラーで区別されている。
 他には駅番号やICカードも導入しており、車両こそ古いものの地方私鉄としては新しいものを多く導入している。

 車内は京急だった頃とそう変わっておらず、懐かしい。
 高松築港を出ると、堀に沿って半周ほど走り、市街地である瓦町辺りまでが琴平線と共用し、 そこから枝分かれしていく。

  
 その後は列車交換を行う駅部を除き、基本的に単線である。
 終点の長尾駅まで行ってから、元のルートを瓦町まで戻った。
 無人駅は多いが、簡易ICカード式改札が完備されていた。


4.琴平電鉄 志度線
 
 志度線の起点は、現在は瓦町かららしく、琴平線と長尾線とは線路が繋がっていおらず、改札内の連絡通路で 繋がっている。
 通路には動く歩道があるので、それほど不便さは感じない。

 
 琴平電鉄の中で唯一海側を走る路線なので、窓からは一面の海も見える。


5.JR高徳線
  
 琴電志度駅を出て徒歩で数分のところでJR高徳線の志度駅に到着する。
 路線名の通り、高松と徳島を結ぶ路線ながら非電化区間なので、 普通列車は1両編成の機動車が走っている。

  
 志度線に乗っている時は気が付かなかったが、道路を挟んで反対側を高徳線としばらく並走しており、 さながら単線並列区間のように機能しているのかもしれない。
 栗林〜栗林公園北口で琴平電鉄と交差するが、どちらの駅からも徒歩から乗り換えるのは時間がかかりそうだ。
 昭和町を過ぎると予讃線に合流して終点の高松の機動車専用ホームに到着した。

 ちょうど昼時だったので、朝はまだ開いていなかった駅ビルのうどん店で、名物のうどん定食を食べた。


6.琴平電鉄 琴平線
  
 琴平電鉄の中で最も長い路線だが、瓦町を出てしばらくは複線区間が続く。
 途中からは単線になるが、複線化区間を増やす工事をしていた。
 後で調べると来月はこの工事のために運休するらしい。
 途中には建設中の新駅もあり、まだまだ発展しつつようだ。
 終点の琴電琴平駅では、京急時代のカラーリングに戻った元京急1000形も停まっていた。

  
 この頃になると雨も降っていた。
 付近には金刀比羅宮(ことひらぐう)という神社もあり、隣には高灯篭という江戸時代の灯台も残っていた。


7.JR土讃線・予讃線
  
 鳥居と反対側に徒歩で数分歩くと、正面にJR土讃線の琴平駅が見える。
 四国の鉄道発祥の地らしくレトロな駅舎だった。
 ホームは長く、特急列車も停車するようだ。
 基本的に単線で、路線名の通り土佐地方まで伸びており、多度津で予讃線と合流して高松まで直通している。
 寝不足と疲れのためか、車内では背景はあまり見ずにうとうとと居眠りしていた。


8.宿泊
 少し早く到着したが夕方になっていたので、高松の近所のホテルにチェックインした。
 フロントで検温した後、GoToのクーポン1000円分を受け取り、部屋に荷物を置いた後に食事をしに商店街の アーケードでクーポンが有効な店を探したが、思ったほど多くない。
 結局、クーポンを使用して少々高めのうどん定食となった。
 昼に続いて2色うどんを食べたのは初めてかもしれない。
 その後は部屋で飲むアルコールとつまみを購入して戻った。

 いつもはPCをレンタルして家計簿をダウンロードして更新したり、1日目の旅行記の下書きを作成するのが 旅行のスタイルだったが、残念ながら利用頻度が減っていたらしく、レンタルPCは廃止になったらしい。
 1回のフロントにあるPCだけは残っていたが、個人情報を扱う家計簿などは更新しずらいので長くは使用に適さない。

 部屋に戻ってアルコール類もなくなったら、寝不足のためか風呂も入らず着替えもしないうちから ベッドの上で眠ってしまい、深夜3時半頃、いつもは寝付けるかという時間に目が覚めた。
 その後に風呂に入ってからベッドで寝たら、あまり眠れなくなった。

 ここのホテルは朝食のおにぎり食べ放題がサービスだったが、今回は感染対策のために がおにぎりや炊き込みご飯ややきそばなどをパック入りにしておいてあり、それを自由に取って食べるという システムになっていた。
 部屋に持って行っても良いが、飲み物がないのでフロントで食べた。
 これはこれで慣れると何度も取りにいかずに良いかもしれない。
 食後は部屋でチェックアウト時間までTVを観たりして過ごした。


9.栗林公園
 
 当初の予定では、2日間かけて琴電の全区間を踏破する予定だったが、1日目で目的を全て達成したので 時間が余った。
 そこで近くの有名な庭園である栗林公園に行ってみることにした。
 ホテルの前のアーケードを歩くと琴電の片原町駅に着くことは昨日知ったので、そこから琴平線で2駅先の 栗林公園で降りて行ってみた。

  
  
 栗林公園は、高松藩松平家が代々整備してきた大名庭園である。
 多くの日本庭園がそうであるように、通路がまっすぐではなく入り組んであるので迷子になりそうだ。
 古民家を楽しみにしていたが、敷地の中央に位置する物産館以外は入れる建物は多くないのは、 感染対策からかもしれない。
 いたるところに高台があり、景色を望めるようになっている。
 広大な敷地内を回ると、2時間近くかかっていた。

 高松中心部に戻るには高徳線でもよかったが、本数が少ないので琴電を使用した。
 ここで昼食(徳島ラーメン)を取った後、土産なども購入した。


10.快速マリンライナー
  
 この後は岡山経由で新幹線で帰る予定なので、少し早いが快速マリンライナーに乗ることにした。
 快速マリンライナーは5両編成のうち高松方の先頭車のみ2階建ての専用車両となっている。
 普通電車ながらグリーン車が連結されているのは豪華で停車駅も少ない。
 早速2階席のグリーン車を購入した。
 グリーン車は平屋席と2階席だけだが、1回はグリーン車ではない指定席となっている。
 スペックの違いが不明だが、眺めの良さで区別しているのだろうか。
 荷物用の2台がある以外は、首都圏近郊型電車のグリーン車とさほど変わらない。

  
 坂出を出ると、予讃線から瀬戸大橋線に入り、前日にサンライズ瀬戸で通ったルートを逆に移動する。
 瀬戸大橋に入る導入部は松山方面からも入れるようなデルタ線となっている。
 1時間ほどで岡山した。


11.岡山城
  
 新幹線で帰るにはまだ少し時間があるので、近くの岡山城に行くことにした。

 路面電車の東山線で城下電停が最寄り駅だが、岡山駅前の電停までは少々歩くことになる。
 将来はもっと駅の中心部まで延伸する予定があるらしい。

  
 旭川の畔を歩くと漆黒の色から別名烏城ともいわれる天守閣が見えてくる。
 岡山城は宇喜多秀家の居城だったが、関ヶ原の戦いで敗れて追われ、その次に裏切って東軍を勝利に導いた小早川秀秋が 入った。
 だが小早川秀秋はその後夭折したため家は断絶、その後は荒木又右エ門の鍵屋の辻の決闘で有名な池田忠雄が入り、 幕末まで治めていた。
 天守閣は6階建ての大きなもので、内部は資料館になっており、宇喜多、小早川、池田の3家の功績を展示していた。

 岡山駅まで戻ると夕方になっていたので、夕食などを購入して新幹線で帰った。
 平日夕方だったためか乗客は多く、必ずしも密が解消されているとはいえない車内だった。

 コロナ禍ということで今までとは違う配慮の必要な旅行だった。
 手洗いはこまめにしてマスクは1泊2日分用意したり、また有料となったレジ袋を多数持参する必要もあった。
 いつかコロナが解消された頃にまたどこかに行きたいものだ。


>>関連旅行記
 第4回 四国旅行
 第3回 四国旅行
 第1〜2回 四国旅行【削除済】


<< Back
Copyright (C) Tekka Tsunamaki 2005 All rights reserved.